伊集院光、競泳水着を語る

 誤解させてしまうような表題で申し訳ないですが、別に伊集院光氏が「俺は競泳水着が大好きだー!」と叫んだとか「競泳水着は体のラインがぴっちり出るから、やっぱりエロくて良い」とか「やっぱりスクール水着の方が好きです」とかいうあまり聞きたくない類の告白をしたというわけではありません。最初に謝罪しておきます。ごめんなさい。もちろん、SPEEDO社の競泳水着問題です、って分かってたよねそんなの。
 先日、はてなハイクとやらに挑戦したところ、昨今話題となっている「SPEEDOの水着対抗策」というネタ振りがありましたので、「水着って着なきゃいけないの?と根本的な疑問を投げかける」と回答しました。すると何の因果か複数の方からレスをいただけたのですが、そこに「男性にせよ女性にせよ水着を着ないとかえって抵抗が増す」というようなものがありました。実はこのようなレスをいただくのは想定外でして、というのも「SPEEDOの水着対策」を自分は「SPEEDOの水着よりも速く泳ぐための対抗策」ではなく、「いかにして水着という馬鹿らしい(失礼)問題から脱却するかという対抗策」と捉えていたのです。そのギャップを埋めるべく、少々書かせていただきます。
 日本人競泳陣がSPEEDO社の水着を着たところ、ばんばん記録更新に成功したのは周知の事実ですが、その報せを聞いて最初に思ったのは「選手たちは嬉しいのかなあ」ということでした。だってそうでしょう。今まで必死に練習につぐ練習に励んできたのに、最後の突破点が布切れ1枚だったんですよ。選手にとっては膝から崩れ落ちかねないレヴェルのことだと思います。今までの自分の努力が文字通り水の泡になったわけですから*1
 逆に言うと、今人間の泳力の限界は、人間本来のもっている「何か」ではなく、水着という技術力で勝負が決しているというわけです。これはちょっとした恐怖ですよ*2。でもそうなったとき、その先の技術による戦いに意味はあるのでしょうか。ただ速く泳げればよいだけだったら、ジェットスキーでも何でも使えばよいでしょう。あくまでも一定のレギュレーションのもとで競うから意味があるわけです。我らがWikipeidaの該当項目を参照すればwikipedia:競泳、水着のレギュレーションなんかが記載されています。このレギュレーションが何のためにあるかといったら公平性のためでしょう。でも実際に、世界トップレヴェルでは布切れ1枚で決まってくる。ということは、すでに公平性が崩れていると言うことです。
 各々の選手が各々好きな水着を着る。しかし、その水着によって相対的に大きな差が出ている可能性がある。ということは異なった水着を着た中での順位なんて、何の順位を見ているのか分からなくなってしまいます*3。じゃあ、いっそのこと水着なんか着なければ良いんじゃないの、というのが少々極端ではありますが自分の意見です。水着の選択に困るくらいなら全裸で泳ごう、てなことです。個々人の好みがあるわけですから、むやみやたらに同じものを着せるわけにはいかないはずです。しかし、別の水着を着てしまわれると、結果として本当の意味での順位付けができない。「水着が泳ぐのではない、人間が泳ぐのだ」なんて格言めいたことを言いたくなるわけです*4
 で、やっとこさ表題の伊集院光の登場です。タイムリーなことに*5、2008年6月9日に放送された『深夜の馬鹿力』で、珍しいことにあまりギャグも交えず、この競泳水着問題について言及していました。その発言内容について、自分は共感するところが少なくありませんでした。以下、紹介させていただきます*6

 じゃあ、もうみんなフルチンで良いじゃん。そんなに揉めるなら、みんなもうフルチンでやりましょう、っていう。
 で、みなさんピンと来たと思うんですけど、SPEEDO社の水着云々の件なんですけど。でも何か思ったんですけど、北島選手とかが世界記録出しちゃったわけじゃん。世界記録出しちゃったからには、俺もう完全にミズノとデサントと虎印……(中略)会社たちが、もう完全に追い詰められたよね。俺思うんだけど、もう北島選手側はSPEEDO社のを着ようが、例えばミズノのを着ようが、ダメージ割と少ないと思うんだよね。
 一番ミズノが危険なのは「やっぱり契約なんでミズノを着ます」って言うじゃん。「ミズノを着ます」って言って、そこそこ良いタイムなんだけど、例えば自己タイ記録くらいまで出てるんだけど、金メダルを取れなかったときのスポンサーメーカーに対するバッシングに耐えられないと思うんだよね、絶対。
 だからもうここは一流メーカーの人たちが早く記者会見をして「どうぞSPEEDO社の水着を着てください。もしそれが体に合うのなら、それを着てください。で僕らはこの悔しさを胸に次の世界水泳、もしくはその次のオリンピックの時に、絶対SPEEDO社の水着を上回るものを作って持っていきますので、その時は晴れて私たちのを着て、さらに今回の記録を上回って欲しい。で皆で北島選手の泳ぐ姿を見ます。それは金メダルを取る喜びと、自分たちは北島選手並みの努力ができていなかったんではないかという疑問を胸に持って、絶対この悔しさを胸にスゲーもん作りますから」って言えば、こんなの今まで北島選手に渡してきたスポンサー料を上回るくらいの美談になるし、もう『プロジェクトX』的にはほっとかないストーリーだよね。ほいで最終的にそうすると世間の方がわりと味方してくれることも増えると思う。
 で今SPEEDO社の作っているやつっていうのが3人がかりか何かで着るんだよね? これまた全然別の問題だけどさ、どこまでOKなの何か。どこまでやっていいこと、いけないことなのかが、もう分かんないよね。3人がかりで着る水着ってのは、何か俺たちからしてみたら、どうも変な感じだなっていう。3人がかりで着るようなパツパツの水着を爪楊枝でプッと刺したら、ペロンって毬藻羊羹みたいに……(中略)
 本人たちからしてみたら、メーカーからしてみたら、思いもよらないようなことしてきたわけじゃんか。じゃあもうこれは負けでいいけど、これに関しては本当に、同じ水泳に関する水着を作る者として凄いものを作られたっていう誇りもあるし、そっから先に見えたこともあるだろうからそれを作ればよいわけじゃんか。
 でももしかしたら分かんないけど、逆転の発想で、今まで何の抵抗もなくしてきたんだけど、もうオチンチンだけ完全に出して、そこのまわりのところに上手く伸び縮みする素材を付けて、オチンチンがマブチ水中モーターみたいにクルクルクルって揺れることで、シュバー! 超気持ちイイ!(中略)作ればよいじゃないですか。
 すげー新しい水着をさ、結局何だかんだで着ることになるのか分かんないよ、着れるようになるのか着れないのか分かんないけど、その時に「ああ着れて良かった」っていうよりは、着れなかったことを想像するとさ、何だかんだの理由で1番早い水着を着れないから順位がいかなかったときの不満感みたいなものが、見てる側とか、日本人として日本チームを応援する人にあると思うんだけど、じゃあ分かんないけどさ、その日本の水着だって良い水着なわけじゃん。そりゃ凄いの開発した上に、その上に行くのを作られちゃっただけだから。てことは、それが手に入らない国の選手のことってどうなんの、っていう。それはそれで良いんだ、みたいな感じにちょっと俺はなっちゃうから、最終的に全員フルチンのやつなんだよね。そうすると俺なんか空気抵抗が全くないから……じゃかましい!(以下、省略)

*1:この文章はただの駄洒落を前面に押し出しているだけです。深い意味はありませんので「本当に選手の努力が無に帰したわけじゃない!」といわれても、そんなことは百も承知でございます。

*2:これもただのパロディというか引用に過ぎないので、あまり突っ込まないでください。

*3:実験の基本です。複数のパラメタを変化させてしまったら、でてくる結果から何か有意なことを読み取るのは難しい。変動させるパラメタはひとつに限定すべきなのです。

*4:このような問題は競泳にとどまらず、速さを追及するあらゆるスポーツには共通のものかもしれませんね。

*5:大変身勝手ですが、自分にとってです。はてなハイクを書いたときからダイアリーでも書こうと思っていたのでした。

*6:2008年6月9日放送分。深夜1時30分ごろの内容。