キャラクターから世界観へ。メディアミックスプロジェクトとしての『ストライクウィッチーズ』

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。以上、簡単ですが年始のご挨拶でした。


ストライクウィッチーズ オフィシャルファンブック コンプリートファイル
 ……ということで、1月9日に発売された『ストライクウィッチーズ オフィシャルファンブック コンプリートファイル』はお買い上げになりましたでしょうか?……なに、まだ買ってないだって?悪いことは言いません。今すぐ書店に走ったほうが良いです。ずばり買いでしょう。
 そういえば先日のコミケC75で発売された公式(?)同人誌『ストライクウィッチーズ 砂漠の虎』はお買い上げになりましたでしょうか?……なに、まだ買ってないだって?悪いこ(以下略)。
 そんなこんなで2009年、まだまだ『ストライクウィッチーズ』旋風はとどまることを知らないようです。こっちの財布の都合なんか、まったく考えていないですね(笑)。そして次に待っているのがDS&PS2でのゲーム化です(ゲーム公式サイト)。現在サブタイトルの一般公募中で、締め切りが2009年1月31日になっています。皆さんも応募してみてはいかがでしょうか。
 ゲーム版の内容も大まかに明らかになってきています。それによると、どうやらアニメ版のキャラクによるアクション&シミュレーションのようなのです。これに対して自分は違和感こそ抱かないものの、少し寂しい気がしました。それは『ストライクウィッチーズ』というメディアミックスを前提として展開されてきたプロジェクトにおけるゲーム化の形として正しいものなのか、と。端的に言うならば、このゲーム版が「ただのキャラゲーとして消費されてしまうような一抹の不安を抱いているのです。
 自分は『ストライクウィッチーズ』というメディアミックスプロジェクトを応援しています。そしてそれはある意味では前世紀的でオーソドックスであり、また現在においては珍しい前提条件のもとで動いているプロジェクトだと考えています。そこでメディアミックスプロジェクトとしての『ストライクウィッチーズ』について振り返り、ゲーム化のありようを考えてみようと思います。*1

メディアミックス作品としての『ストライクウィッチーズ』のあゆみ

 能書きは後回しにして、まずはメディアミックス作品としての『ストライクウィッチーズ』の歴史を振り返ってみましょう。

 2003年のプロジェクト開始、2005年のお披露目から様々な展開が図られていることが分かります。イラストコラムから始まり、まんが、小説、アニメ、フィギュア、そしてゲーム……。可能な限りのメディアミックスを行っているようですが、この『ストライクウィッチーズ』プロジェクトは最近のメディアミックス作品では珍しく、確固たる「原作」(メディアミックス上流)が存在しないのです*2。これは特異な現象だと思われます。

メディアミックス前提のプロジェクト

 初っ端から「メディアミックスプロジェクトを前提として」と連呼してきましたが、まずはその説明を。ヤマグチノボルストライクウィッチーズ スオムスいらん子中隊がんばる』(角川スニーカー文庫)の巻末に収録されている鈴木貴昭「『ストライクウィッチーズ』企画の成り立ち」から一部引用します。ちなみにここでの鈴木貴昭氏の肩書きは「ワールドコーディネーター」になっています。

2003年に、一つのメディアミックス企画が立ち上がり、そのキャラクターデザインを、島田フミカネ氏にお願いしたい、との話になりました。当初は別の企画でお願いしようと、考えていたのですが、顔合わせの後、企画内容として氏の書き溜めていた擬人化兵器少女の提案を頂き、元々仕込んでいた企画と融合して誕生したのが、このストライクウィッチーズです。

 発売されたばかりの『コンプリートファイル』82ページにもプロジェクトの発端に関する記述があります。テレビアニメ版に焦点が絞られているため上の記述とは少し異なりますが、一部引用させていただきます。

島田フミカネの公式ホームページに、GONZOのプロデューサーからメールが届く。
島田フミカネのイラストをもとに、アニメ化を前提としたプロジェクトがスタートする。

 これらの情報をあわせると、もともと二つの流れが共存していたことが分かります。

 鈴木貴昭プロジェクトには視覚的要素担当として島田フミカネが途中参加し、原作「島田フミカネ&Project Kagonish」としてクレジットされています。このプロジェクトにおいてはアニメ化は目標であるものの、メディアミックス展開の中のひとつの形に過ぎないように思われます。そのアニメ化に焦点を絞っているのが、アニメーション製作&制作会社であるGONZOです。そこに後から角川書店が絡んできている格好だと解釈できます。つまり個人的な解釈としては、このプロジェクトにおいて島田フミカネによる兵器少女のイメージは不可欠であるものの、鈴木貴昭らが生み出した世界観が根底にあると考えています。
※このあたりは推測&妄想が激しいので、真実であるかは分かりません。あくまでも自分の解釈です。

小出しにされる『ストライクウィッチーズ』の世界観

 このようにメディアミックス前提として生まれた『ストライクウィッチーズ』プロジェクトですが、雑誌『コンプエース』のイラストコラムとしてこの世界に生を受けたのが特徴的でした。そのときのイラストコラムは白黒ですが『コンプリートファイル』86〜89ページ(第2回〜第9回、『コンプエース』Vol.2〜Vol.9)で再録されており、またテキストなしのイラストのみも白黒で『コンプリートファイル』84ページ(第1回)、カラーで『島田フミカネ ART WORKS』32〜38ページ(第1回〜第7回)に再録されています。第1回のテキスト付イラストが再録されていないようなので、ここで紹介します。これが世間に対して初めて発表された『ストライクウィッチーズ』プロジェクトになります。

世界は、突如出現したネウロイと呼ばれる異形の存在の襲撃を受けいていた。
それらに立ち向かえるのは、魔力を持った少女たちのみ。
彼女らは、自らの体に兵器をまとい、空で、陸で、そして海で戦いを挑む。
世界を守る少女たちの戦いが、今始まる。

 これはすべてに共通のリード文ですね。ロゴの下に記載されています。

1941年、ネウロイの強行偵察機ドーバー海峡上で迎撃する、王立ファラウェイランド空軍416飛行中隊所属ウィルマ・ビショップ軍曹とその僚機。416飛行中隊は、ブリタニア連邦ファラウェイランドから派遣されたパイロットで編成された部隊で、この時点ではサフォークのマートルシャム・ヒース基地を根拠地としていた。ビショップ軍曹は、ウルトラマリン・スピットファイアMk IIを装備し、この戦いで僚機とともに迎撃1を記録する。

 このような「解説文」が毎回イラストに付いていたのです。はっきり言って、初読では難解極まりない文章だと思います。何で少女なの?何で魔力なの?この兵器は何?何で直接脚に履いてるの?ネウロイって何?ファラウェイランドって何?ビショップ軍曹って何者?サフォークってどこ?エトセトラエトセトラ……。
 まあ、この手の謎は徐々に明らかになっていくわけです。例えば、このウィルマ・ビショップはアニメ版のリネット・ビショップ(リーネ)の姉であり、小説「スオムスいらん子中隊」のエリザベス・ビューリングの同僚だと分かります。魔女やストライカーについては皆さんご存知の通り。このようにして世界観が拡大されていくのです。
 このような情報の小出しの仕方、イラスト+テキストという形態、確固たる「原作」の存在なしに拡大する世界観とおぼろげに見えてくるストーリー……。かつて大ヒットとなった『ビックリマンシール』なんかを思い出しませんか?*3

「キャラクター」から「世界観」への回帰?

 ゼロ年代(笑)のメディアミックス、特にアニメやテレビドラマ、映画に顕著ですが、そこで躍起になって行われているのは、ずばり「原作探し」と言えるでしょう。そのような経済規模の大きなメディアミックスのリスクを少しでも抑えるために、すでに人気のある原作を抑える、また今後人気の出そうな原作を抑えるということを繰り返しているように思われます。結果、アニメの分野ではまんがを食い荒らし、ゲーム(特に美少女ゲーム)を食い荒らし、そして現在は小説(ライトノベル)を食い荒らそうかとしています。
 原作を中心に副次的なメディアミックスを行うというのは、現在においては双方にとって必要不可欠なものになりつつあります。メディアミックスによる全体的な盛り上がりなしには、作品の成功はないといっても過言でないくらいです。
 一方、それらのメディアミックスにおいて、キャラクターが主導になっているのを感じます。それは同人誌業界を眺めればよく分かるのですが、まんが、アニメ、ゲームなどの絵物語においてメディアを横断できるのが物語や世界観ではなく、キャラクターになっているのです。*4それはニコニコ動画のようなメディアの登場で、その傾向はより加速度を増しているように思えます。しかし、それで良いのか、と疑問を投げ掛けたいわけです。自分は。
 そのような「キャラクター主導」のメディアミックス、特にゲーム化において予想されるのが、いわゆる蔑称としての「キャラゲー」です。これはよっぽどうまくやらないと大変なこと(笑)になります。キャラクタ人気に便乗した安易なゲーム化なんて、誰も見たくないのです。なのにファンが買ってしまうというジレンマ……(涙)。
 そんな「キャラクター主導」全盛の現代において前世紀的とも思える「世界観主導」のプロジェクトである『ストライクウィッチーズ』。それもテレビアニメ版のヒットで少々おかしくなってきているような気がします。前述した関連作品リストを「メディアミックスプロジェクトとしての『ストライクウィッチーズ』」と「メディアミックスの一環としてのテレビアニメ版『ストライクウィッチーズ』付随作品」に分類すると、次のようになります。

※基本的には登場キャラクターで分類しています。宮藤芳佳を中心とする物語を「アニメ付随」、それ以外を「メディアミックスプロジェクト」としています。
 うーん、ちょっとだけ不穏な空気がありますね(笑)。メディアミックスプロジェクトとして生まれた「世界観主導」の『ストライクウィッチーズ』の心意気を見せて欲しいところなのですけどね。ゲーム版なんてクレジットに「第501統合戦闘航空団」(テレビアニメの製作委員会名)って入ってます。これ、ただのキャラクター商品で終わらす気とは言わせませんよ!

ゲーム版、期待しても良いんですよねぇ?

 ここまで『ストライクウィッチーズ』プロジェクトがメディアミックスを前提として発展してきたプロジェクトであり、近年には珍しく「キャラクター主導」ではなく「世界観主導」の戦略をとっているにも関わらず、テレビアニメ版のヒットで凡庸な「キャラクター主導」の戦略、すなわちキャラクター商品としてのメディア展開を見せそうな恐怖があるということを説明してきました。特にゲーム版でその悪夢が現実になるのではないか、と。
 『ストライクウィッチーズ』はメディアを横断し共有可能な世界観をベースに、その広がりは衰えを知りません。だからこそ、メディア展開における数々の物語の多くが魅力的で、だからこそそれに付随するキャラクターたちもまた魅力的なのだと思うのです。事実、『ストライクウィッチーズ』はそうやって多くの物語を生み出してきているのですから。ちなみに野上武志の手によるまんが『アフリカの魔女』は本当に素晴らしいです。読んでないひとは、もうどうすれば入手できるのか分かりませんが、どうにか頑張って読むと良いと思います(無責任だな……)。
 とにかく、素晴らしいゲーム版を期待します。「単なるキャラゲー」で終わらせて、ファンを失望させないでくださいよ!くれぐれもね。……さて『コンプリートファイル』の続きを読もうっと。

おまけ:『ストライクウィッチーズ』の世界観と現実との接点

 『ストライクウィッチーズ』の世界はメディアミックスを前提としているため、様々な場所で戦闘が行われており、そのフィクションの歴史が存在します。先の鈴木貴昭の文章から引用します。

本作は元々メディアミックス作品として立ち上げられた企画なので、複数の戦場が最初から用意されています。東部戦線、西部戦線、北欧、アフリカ、太平洋と大きく分けて五箇所での戦いが続き、長年の戦いによって、あるメディアでは新兵だったキャラクターが、他のメディアではベテランとして登場することも有り得ます。

 この5つの戦場ですが、要するに2つの世界大戦なわけです(かなり適当な断言。違うかも)。で国同士が戦争をする代わりに、世界の共通の敵として「ネウロイ」が設定されています。使用されるストライカーにも全てモデルとなる戦闘機が存在しますし、以前から様々な場所で指摘されているようにキャラクターにもすべてモデルとなる人物(戦闘機パイロット)が存在します。つまり、『ストライクウィッチーズ』の世界は、基本的には現実の大戦期の世界に接木をする格好で構成されているのです。ですので、『ストライクウィッチーズ』の世界には誰もが簡単に参入することが出来ます。史実からひとつの人物を選択し、それを膨らます方向でフィクション化すれば良いのです。……これはちょっと挑発的過ぎるかな(笑)。
 途中で少し触れた大塚英志『物語消費論』ですが、これに『ビックリマンシール』に関する興味深い記述があります。角川文庫版15ページから一部引用します。

消費者が<小さな物語>の消費を積み重ねた果てに<大きな物語>=プログラム全体を手に入れてしまえば、彼らは自らの手で<小さな物語>を作り出せることになる。
(中略)「ビックリマン」の<世界観>に従って、これは整合性を持ちしかも772枚のシールに描かれていない773人目のキャラクターを作り出し、これをシールとして売り出したらどうなるのか。
(中略)<物語消費>の位相においては、このように個別の商品の<本物><偽者>の区別がつかなくなってしまうケースがでてくるのだ。

 だからみんなもキャラクターだけを輸入、横断させて「遊ぶ」のも良いですが、『ストライクウィッチーズ』の世界にオリジナルキャラクタを生み出してみませんか?これに対して物凄い説得力を持っているのが前述した野上武志による『アフリカの魔女』だったりするわけです。このまんが(および同人誌『アフリカの魔女』)は「1.5次創作」などとも称されるように、かなり1次創作に近い2次創作です。こういうのって、どのように解釈すれば良いのでしょうか(笑)。少なくとも、正史には含まれないような気がしますが、ほとんどオフィシャルな物語であるはずです。だけど、このレヴェルのものを一般人である(じゃないひともいるかもしれませんが)皆さんも作れるかもしれません。これこそまさにCGMとかUGCというものなのではないでしょうか。うーん、夢が広がりますねえ。賑やかしによって自己増殖する世界観ですよ。そこまでいったら『ストライクウィッチーズ』も本物ですね。……なんて、2次創作すらしない自分に言われたくないでしょうけど(笑)。

*1:まだ発売されたばかりなので『コンプリートファイル』の内容は、ちゃんと読んでいません。というかスタッフインタビューが充実しているので、読むとこのエントリの内容を書き直す必要があるように感じられるからです。ですので、本エントリは推測、妄想が多分に含まれており、その内容がすべて正しいとは限りません。ご注意ください。なお情報元は現在までに発行あるいは発表されている『ストライクウィッチーズ』関連書籍、ウェブサイトなどになっています。

*2:多くの場合、まんがあるいは小説(ライトノベル)が「原作」として存在します。『ストライクウィッチーズ』のように確固たる「原作」が存在しないものでは、最近の例としては『シゴフミ』などがあります。

*3:ビックリマンシール』の消費構造については大塚英志『定本 物語消費論』(角川文庫)を参照ください。これは角川メディアミックスの基礎理論であり、『新世紀エヴァンゲリオン』などにも通じるところが少なくない考え方です。『ストライクウィッチーズ』プロジェクトもその流れで説明できますが、ここではあまり詳細には立ち入りません。

*4:近年の伊藤剛を参照しても良いと思うのですが、申し訳ないのですが自分はまだちゃんと読めていません(笑)。