水野晴郎を偲んで、素晴らしい邦題について考える

 まず冒頭に。水野晴郎氏のご冥福をお祈り申し上げます*1
 さて、水野晴郎の逝去はひとつの時代の終わりを感じさせるものだと思いました。元コサキンリスナーの自分にとって妙な親近感を持っている有名人のひとりであり、また他人よりも少しばかり映画が好きな自分にとってショックの大きいものでした。水野晴郎は数多くのエピソードに富んだ人物でありますが、その功績の代表的なものとして、彼の生み出した優れた邦題があげられると思います。例えば『史上最大の作戦』(原題『The Longest Day』)や『007 危機一発』(原題『From Russia with Love』*2)などが有名です。
 映画に限らず、音楽、書物などが日本に輸入されてくる中で、原題のままではなく邦題が付けられるのが少なくありませんでした。邦題が国内における実質のタイトルになるわけですので、売り上げや作品イメージに大きく影響してきます。そのため邦題を付けるのもコピーライター的なセンスが要求される一大仕事でありました*3。そこで生まれてきた数々の名邦題を取り巻く空間を「邦題文化」とでも名づけるなら、それは現代において風前の灯と言えるかもしれません。
 20世紀末の1990年代後半以降、特にハリウッド映画の分野において邦題をあまり目にしなくなったと感じているひとは少なくないと思います*4。またかつての邦題文化を懐かしんで「最近の映画はタイトルが横文字で意味が分からない」なぞという声を聞いたこともあります*5。だけど、その一方で素晴らしい邦題も沢山生まれ続けています*6
 昨今のアンチ邦題ブームのようなものに遺憾の意を表明している人物として筑紫哲也がいます。その対象は映画にとどまらず「『片仮名語』汚染*7などを見ても分かります。そんな筑紫哲也が主催(?)する映画賞で「筑紫賞:ゴールデンタイトル・アワード」というのがあります。これは前年に公開された映画の中から優れた日本語タイトルを表彰するものです。まだ3回しか行われていない歴史の浅い賞ですが、第1回は『箪笥』(原英題『A Tale of Two Sisters』)、第2回は『運命じゃない人』(邦画)、第3回は『不都合な真実』(原題『An Inconvenient Truth』)が受賞しています。
 良い邦題の基準として、個人的には「パロディをしたくなる」というのを提案したいと思います。例えば『不都合な真実』であれば「不都合な○○」といった具合です*8。その点から見ても、水野晴郎の邦題は大変素晴らしいと思います*9。よく人気作のタイトルをもじったB級映画やパロディAVがありますけれど、図らずともタイトルの素晴らしさを証明しているように感じられます。
 この基準から言うと、やはり優れているのは書籍のタイトルが多く、特にSF小説の邦題*10が素晴らしいのではないかと思います。例えば『たったひとつの冴えたやり方』『愛はさだめ、さだめは死』*11世界の中心で愛を叫んだけもの』『俺には口がない、それでも俺は叫ぶ』*12アンドロイドは電気羊の夢を見るか?*13など枚挙に暇がありません*14
 そんな中、不穏な傾向があるのも事実で、例えばアイザック・アジモフ『われはロボット』(原題『I, Robot』)は2004年に映画化された際に原題ママの『アイ、ロボット』として公開されました。まあ、CGバリバリのアクション大作にちょっと古めかしい『われはロボット』みたいなタイトルは確かに不釣合いです。だけどこのタイトルでは「アイ」=「目」のようだし、すぐには意味が分からないタイトルです*15。でも、映画だけなら許せます。こともあろうか、映画の相乗効果を狙って文庫版のカバーが一新され、そこには映画のシーンとともに『アイ、ロボット』の表記が踊っていました。これには参りました。これは決して回顧主義なんかではないと自覚しています。筆舌しがたいやりきれなさのようなものを感じました。
 このはてなダイアリーのタイトルは、もちろんニーチェツァラトゥストラはかく語りき』が元ネタです*16。正確にはいつからか分かりませんが、現在書店に並んでいる文庫には『ツァラトゥストラはこう言った』と書かれています。「かく語りき」とは確かに古い表現で、今の若者に敬遠されそうな雰囲気のあるタイトルである可能性は否めません。それでも、妙に格式ばった「かく語りき」というタイトルは、それだけで凄いパワーを持っていて、みんなこぞってパロディしたがるタイトルでもあります*17。そんな名タイトルを、意味は同じであれ、なんとも味気ない「こう言った」に直してしまうなんて、どうかしてる!と思ったものです。これも時代の流れなのかな、と思いながらも、少し切なく思ったのでした。

*1:なんか「ご冥福をお祈り……」の使い方でもめているようですが、現代におけるひとつの定型文に過ぎず、ナンセンスだと考えています。遅く起きた朝であっても「お早うございます」というようなものです。

*2:1964年の公開時。1972年のリバイバル上映では原題に即した『ロシアより愛をこめて』(これも大変素晴らしい邦題ですが)のタイトルになっています。この邦題は訳し方もそうですが、「危機一髪」を「危機一発」に誤表記したのが凄いです。これがなければ『黒ひげ危機一発』も『ドラゴン危機一発』(原英題『THE BIG BOSS』)も『バイバイリバティ危機一発』もなかったわけですし、小学生が漢字の書き取りで苦労することもなかったかもしれません。

*3:ここまでの3文、過去形で書きましたが、もちろん現在においても通用する話です。……なんか今回の注釈は言い訳くさいのが多いな。

*4:ただ一応言い訳しておくと、ここ数年はまた邦題が増えてきているような気もしています。ちゃんと調べていないので、本当がどうかは分かりませんが。あと以前に聞いた話だと、原題ママの横文字タイトルは配給元からの指示だとか。真偽不明。

*5:実際にこれには同意します。例えば前回のアカデミー賞を受賞した『ディパーデッド』(原題ママ。これなら意味は分かるかもしれないけれど、分かったところでどんな映画なのかさっぱり分からない)のリメイク元である香港映画『『インファナル・アフェア』(原題『無間道』)』なんて意味すら分からん。

*6:意外な邦題としては『インビジブル』があります。原題は『Hollow Man』なのです。

*7:この文章自体には個人的に首を傾げたくなるようなところもなくはありませんが、邦題の持つパワーなんかが覗えると思います。

*8:実際、2007年のユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされています。

*9:他にも『夜の大走査線』(原題『In the Heat of the Night』)などもあります。この邦題がなかったら『踊る大走査線』という名タイトルも生まれなかったかもしれません。あと『踊る大紐育』も必要ですけど。

*10:というか、原題からすでに素晴らしいわけですが。事実、以下にあげる例の多くは原題の直訳です。

*11:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

*12:ハーラン・エリスン

*13:フィリップ・K・ディック

*14:自分自身がSF者ではないので、あまり良くないセレクションの可能性もなきにしもあらず。その場合はすみません。

*15:実際、最初にこのタイトルを聞いたときは「目ロボット」って……と思いましたが、一瞬後に気が付きました。

*16:ちなみに読み通していません。というか、読み通せませんでした。それでもパロディしたくなるくらいの良いタイトルだと思います。

*17:ためしにgooglegoogle:かく語りき]と検索すれば、その凄さが分かるはずです。ちなみに、はてなダイアリー内でも[id:teruyastar]さん、[id:hibikinarumi]さん、[id:oresama2chan]さん、[id:milhaudさん……とたくさんいます。