まんが・アニメ的記号表現と二重「中の人」構造『かんなぎ』

 巷間では原作版『かんなぎ』に関する例の騒動をいまだに引きずっているようで、なかなかモノが言いにくい状況みたいですね。なんで1ヶ月以上もこの問題が話題になり続けているのか良く分かりませんが、新聞等の大手マスコミまで釣ったのは天晴れという感じでしょう。少なくとも話題性だけは欠かないこの『かんなぎ』。そんな世間の流れはいつものように無視して(これをひとは「KY」と呼ぶ)、今回も左斜め上から好き勝手書かせていただきたいと思います(笑)。
 とは言っても、最近のアニメ『かんなぎ』はなかなか興味深い点が多いです。完全オリジナルの第7話「キューティー大ピンチ!激辛ひつまぶしの逆襲(後篇)」なんて、ある意味ではいくらでも語れそうなエピソードです。そう、色々……ね(笑)。また第10話「カラオケ戦士 マイク貴子」に関しても、原作わずか12ページの幕間(外伝的短編)、しかもカラオケBOXでいつもの面々が歌うだけのエピソードを30分1話としてアニメ化した偉業についても、「アニメ化」というものの面白さが詰まっていると思いました。そんな中取り上げたいと思うのは、第9話「恥ずかしい学園コメディ」です。

第9話で散見されたまんが・アニメ的記号表現

 最近のアニメ全般において共通なのですが、コメディであってもキャラクタのデフォルメやいわゆる漫符」表現(怒りの#マークや、焦りの汗)のような「まんが・アニメ的記号」があまり使われていないように思われます。おそらく、最近のアニメ一般におけるリアリティの水準の問題なのでしょう。ここでは本筋を外れるため触れる程度にしておきますが、例えば1期『ひだまりスケッチ』と2期『ひだまりスケッチ×365』を比較すると(ちなみに『ひだスケ』は「ほのぼのギャグ」に分類できるでしょう)、原作の持ち味でもあった「へちょ絵」(頭身を崩した「へちょい」デフォルメ絵)の使い方に差があります。その「へちょ絵」がアニメ第1期では頻繁に用いられていたのに対し、第2期では影を潜めてしまいました。以上、余談。

蒼樹うめひだまりスケッチ』第1巻2ページより。「へちょ絵」の一例。
 閑話休題。この『かんなぎ』第9話「恥ずかしい学園コメディ」では、それまでのエピソードでは見られなかった、いわゆる「まんが・アニメ的記号」を見つけることができます

※第9話「恥ずかしい学園コメディ」より。以下、同じ。
 この2つは原作の表現をアニメでも採用しています(原作第3巻23ページ2コマ目、40ページ5コマ目)。「飛び出す点状の目」=「目が飛び出る(驚き)」+「目が点になる(呆れ)」というコテコテのまんが的記号表現なんて、近年ではそうそうお目にかかれません。さらには埴輪風(?)になるざんげちゃん(笑)。


 さらにアニメ化に際しては、原作では用いられていなかった「ジト目」(軽蔑等を込めてじーっとみつめる目)まで採用されています。果ては驚きに揺れる平面的な家(昭和風)まで……。このようなベタをネタにしているような「まんが・アニメ的記号」、その意図はどこにあるのでしょうか。

パロディ抜きにラブコメできないラブコメ

 先に断っておきますが、このような表現はただの「フック」あるいは監督である山本寛の表現を借りるところの「ギミック」に過ぎないとも考えられます。ただ、以前のエントリメタフィクショナルな言動とメディアミックス『かんなぎ』でも指摘したように、本作品は原作からしメタフィクションを指向していると考えられるため、そのような前提のもとで話を進めていきます。
 さて、前セクションで指摘したような「まんが・アニメ的記号」は、キャプチャを見ていただければ分かるように、作品世界の中で明らかに浮いているにも関わらず「パロディ」として強行に用いられているように思われます。左下のジト目のざんげちゃんなんて、一人だけ別作品みたいになってます(笑)。ちなみに、自分は原作で用いられていた上の要素に対して、アニメ化に際する呼応として下のようなもの(ここで取り上げたのは一部です)を新規に採用したと考えています。こういうところを拾ってきて「アニメ化」するセンス、嫌いじゃありません(笑)。
 では、なぜ作品世界を壊してまでしてこのような表現を用いるのでしょうか。そこで注意したいのが、当該回のサブタイトル。ちなみに、アニメ『かんなぎ』は原作の1〜2話をまとめて30分1話にしており、サブタイトルは対応原作のサブタイトルを機械的に接合して作っています。例えば、当該回付近は次のような感じです。

  • 第8話「迷走嵐が丘」=第12話「嵐が丘」+第13話「迷走学園コメディ」
  • 第9話「恥ずかしい学園コメディ」=第13話「迷走学園コメディ」+第14話「恥ずかしい僕の過去」

※左辺はアニメ、右辺は原作。

 期せずして生まれた「恥ずかしい学園コメディ」というサブタイトルですが、これがまさに本質を指し示しているのではないか、と個人的には思っています。『かんなぎ』全体を取り巻くメタフィクション、自己言及、パロディといった指向性が表しているのは、「ベタ」を「ベタ」に出来ないという現状なのではないでしょうか。つまり、「恥ずかし」くてオーソドックスにラブ「コメディ」することができないから、「メタ」あるいは「ネタ」という形態を取らざるをえなくなっているのではないでしょうか。
 第9話はそれがもっとも顕著で、男色だと疑われてしまった御厨を助けるために、策を弄して御厨が女好きだと公に示す、具体的にはつぐみ&ざんげが意図的にラブコメ状態を作る、というエピソードです。これはブコメの中でラブコメを意図的に捏造するという二重性からくる自虐ネタにもなっているし、ベースになっている『かんなぎ』という世界観自体に対する自己批判にもなっています。『かんなぎ』が持っているギャグなのかシリアスなのか分からない、ある意味カオスティックな作風と相まって、個人的には大変面白いと感じました。

アニメ化にともなって浮かび上がった「二重『中の人』構造」

 上でアニメ化に伴うサブタイトルの変更からひとつのテーマがあぶりだされてきた(強調されてきた)という「嬉しい誤算」のようなことを書きましたが、他にもアニメ化に伴う「嬉しい誤算」はあります。そのひとつが「二重『中の人』構造」とでも名付けたい現象です。……ちなみに本当はこのことについて書きたかったのですが、この部分だけだとあまりに妄想的過ぎてアレなので、前半を付け加えたのです(笑)。さあ行くぞ!ここからが個人的には本題だ!
 作中のキャラクタであるざんげちゃんにはなかなか奇妙な設定が付与されています。彼女は神であり、涼城白亜という少女に憑依しているという設定になっているのです。作中では(現段階では)その設定はあまり重要ではなく、白亜は殆ど物語に関わってきません。ざんげと白亜の自問自答的な会話シーンもあるにはありますが、白亜は声を発することもありません(白亜からざんげへの言葉は、物理的な音にはなっていません)。なかなか興味深い設定です(笑)。
 しかし、ざんげが何らかの行動を起こそうとするとき、本体である白亜が抵抗することがあります。例えば、アニメ第5話「発現!しょくたくまじんを愛せよ」では料理対決の際に、本当は上手に料理を出来るのに、本体である白亜が抵抗して下手な料理しかできないという挿話がありました。ですので、ざんげは時折、本体である白亜との合意形成を図ろうとします。そのときに面白い表現が用いられます。

  • ざんげ「まぁ確かに。公然とイチャつくわけですね。それはそれで悪くないと中の人が」
  • つぐみ「なんですか中の人って」

※アニメ第9話より。原作第3巻50ページ1コマ目にも、ほとんど同じセリフがあります。

 ここで用いられている「中の人」という表現ですが、ざんげの「中の人」、すなわち本体である白亜を指し示しています。これは舞浜に生息する某ネズミに「中の人」はいないとか、ガチャピンの「中の人」は凄いなあ、といった「(着ぐるみの)中の人」的な用法です。
 しかし、「中の人」という表現はいわゆるインターネットスラングのひとつ(Wikipedia該当項目)であり、広く普及している用語でもあります。アニメ絡みで使うと、一般的にキャラクタを演じている声優を指し示します。例えば、青葉つぐみ(『かんなぎ』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし、真紅(『ローゼンメイデン』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし、ペリーヌ・クロステルマン(『ストライクウィッチーズ』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし、大家さん(『ひだまりスケッチ』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし……(以下略)。
 しかし、このような「中の人」の用法は、大前提としてアニメないしはラジオドラマ等になっていて、担当する声優が存在している必要があります。逆に言うと、アニメ化以前の原作では、「中の人」=声優という等式は成立しえなかったのです。
 それがアニメ化に伴い、期せずしてちょっと面白いことになりました(笑)。まんがでは「中の人」が一意に決まっていたのに、アニメになると一意に決まらないどころか、リアルとフィクションにまたがって可能性が存在するわけです。むしろ、一般名詞的に広く用いられている「中の人」=声優という等式が先に来るため、発言の意味すら解体され浮遊していき、「ぽかん」となってしまいます(言い過ぎかな?)。この現実と仮想が不可分に混同されていく感覚……。これが「二重『中の人』構造」だっ!(笑)

二重「中の人」構造を『ケメコデラックス!』に……!

 この構造を現在放送中の『ケメコデラックス!』に当てはめると、もっと面白いことになります。『ケメコデラックス!』のヒロイン(?)であるケメコはボディスーツ(着るロボットみたいなもの)で、その中にはエムエムという少女が搭乗しています。普段はケメコの状態で八面六臂の大活躍、たまに「中の人」であるエムエムが出てきてドラマが進行するという感じです。これが外面と内面の物理的な比喩になっていたりして興味深いのですが、それはまた別のお話。

アニメ公式ページグッズ情報より。外の緑髪赤服がケメコ、中に見えるピンク髪がエムエム。
 両作品の外⇔中構造を比較すると、次のようになります。

 そこに更に声優が絡んでくるわけですが、『ケメコデラックス!』ではケメコ=斎藤千和、エムエム=戸松遙と異なった声優が担当しています。そこが『かんなぎ』のざんげ=白亜(基本的には喋らない)=花澤香菜との大きな違いになります。

 つまり『かんなぎ』においては「花澤香菜>ざんげ>白亜」という不等式が決定できますが、『ケメコデラックス!』においてはキャラクターレヴェルと声優レヴェルをどのように配置するかで、複数の順位付けが可能になります。ですので、まかり間違って『ケメコデラックス!』の作中で「ケメコの『中の人』」なんて表現が使われることを想像すると、それはエムエムのことなのか(キャラクタレヴェル)、斎藤千和のことなのか(声優レヴェル)、はたまたケメコのキャラクタレヴェルにおける「中の人」であるところのエムエムの声優レヴェルでの「中の人」である戸松遙のことなのか……、となかなか楽しいことになるわけです(笑)。うぉぉ。
 嗚呼、楽しいなあ……。えっ、別に楽しくない?……そりゃすみませんでした。ぺこり。