劇場型娯楽は制作者にとって幸せだなあ、という話

 まだ夕方5時だというのに真っ暗な街を見下ろし、大きなため息を漏らしながら冬の訪れを感じる今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。なかなかセンチメンタルで季節感に溢れる語り出しですが、相も変わらず季節感ゼロの話題で(笑)。というわけで、今日は様々な形態の娯楽について、ちらほら書いていこうと思います。

許されざる(?)視聴方法

 というのも、発想元(≠発送元)はこちらのエントリ。

 エントリ名については(あえて?)触れませんが、このエントリの中で気になる点が。著者も太字で強調しているということで確信犯(誤用)と思われるのですが、ばしゅっと引用させていただきます。

(アニメを)1.75倍速にして1日2〜3本ぐらい見ていた

 うん。これは技術の勝利だな。そのように自分は感じました。もちろん、このような高速再生でアニメを見るようなことは(アニメに限らず)自分はしませんし、したいとも思いません。そのようにして見ても、何も良いことはないと思います。しかし、技術的に、しかも容易にそのような視聴方法で視聴できる環境を万人が持てる以上、そのように視聴する権利が視聴者にはあるのです。自分たちにできることは、そのような人を横目で見ながら「貧しいな……」なんてひとりごちることくらいです。
 おそらく多くの人は、このような視聴方法を否定するでしょう。それでは、あまりにも制作者に対する愛がなさ過ぎる、と。しかし、録画してアニメを見ている場合、ついついCMを飛ばしたりしていませんか?もしかしたら制作者は(まあDVD化することが前提の作品が殆どですが)CMの1分間がもたらす心的効果を狙って作品を作っているかもしれないのに(そんなに大層な話ではなくて、ヒキ・タメみたいなものです)。では、どこまで許される視聴法で、どこからが許されざる視聴法なのでしょうか。

視聴方法を(ある程度)限定できる劇場型メディアのアドバンテージ

 2008年10月13日深夜に放送されたTBSラジオ伊集院光 深夜の馬鹿力』においてパーソナリティである伊集院光は、黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』を見ていると主人公にピンチが迫っていると感情移入するあまり再生を停止させてしまいそうになることや、『天国と地獄』で捜査員が犯人を追跡していると薄暗く覚せい剤中毒者がたむろっているような路地に入っていくという「先の見えない展開」を早送りしてしまいそうになる感情を吐露しています。そして、そのようなことを「やってしまったもん負け」だと伊集院光は言うのです。
 まったくその通りなのですが、制作者は作品がどのように受容されるか限定することはできません。例えば、音楽の受容は以前は屋内でスピーカを用いるのが一般的でしたが、1979年のウォークマンの登場以降は屋外でも受容されます。映像に関しても同じで、録画再生機の普及にともない、前述のような「効率の良い」視聴方法が可能になった以上、それもまたひとつの受容の形といわざるを得ません。
 小説を例に考えると、1本の小説を一気に読みきる人というのは、そんなに多くないのではないかと思います。それは先の例で言えば、映像作品をちょこちょこ停止再生を繰り返しながら見ているような行為に相当します。電車の中を観察すると、音楽を聴きながら文庫本をめくっている人も少なくありません。喫茶店に行けば、何か食べたり飲んだりしながらの人も多いです。そのような受容方法は、おそらく純粋に作品に向き合っていないという意味で、受容方法として最適なものではないかもしれません。しかし、作者(制作者)はそれに対して文句を言うことはできないと思いますし、現に言っていないと思います。
 したがって、制作者はどこまで作品の受容方法をコントロールできるか、また受容方法によらず一定の効果を上げるような作品制作を行えるかが鍵になってきます。つまり、どちらにせよ受容者の個体差を減らすという方向性です。すると、映画や演劇のような劇場型メディアには強烈なアドバンテージがあるのに気が付きます。自分は映画および映画館が結構好きなのですが、視覚以外の情報を最大限シャットアウトし、恵まれた視聴環境の中で他の何にも邪魔されることなく、最初から最後まで一息に「純粋な」受容が行われる映画というメディアは、制作者にとって大変幸せなのではないかと想像してしまいます。

制作者はどこまで考慮すべきか

 発想元のエントリのように、制作者の意図していないような受容方法の上での批判的意見はあまり誉められたものだとは思わないですし、ただ信用を失うだけだと思います。しかし、ちゃんと確信犯的に明示しているのは偉いとも思います。一時期、アニメをYoutubeで見たくらいで、見た気になるなという話がありました。それは正論ですし、Youtubeを通した視聴は明らかに制作者の意図していない(どころが、ある意味、非合法的な)視聴方法です。ただ、現代のテレビアニメを含む映像制作者は、ワンセグでの視聴は考慮しなくてはいけない。しかし一方で、フルハイビジョンの地上デジタルも考慮しなくてはいけない。以前のエントリで指摘したこともありますが、TBS/BS-iで放送されるアニメ制作者は16:9で制作しながらも4:3で放送されることも考慮しなくてはいけない。DVD作品であったら劇場クラスの大画面で上映されることも、またiPodの小さな画面で再生されることも考慮しなくてはいけない。となると、制作者はどこまで考慮していけば良いのでしょうか。
 そのような疑問には、明確で具体的な解答はありません。また全てを解決する必要ももちろんなくて、そんなことばかり気にしていたら何の映像も作れなくなってしまいます。ただ、そのような問題意識を持って制作しているか否かが重要になります。そして受容者が自発的にできるだけ良い環境(=制作者にとって理想的な受容方法)で見たくなるような作品作りを心がけることが肝要だと思われます。ひとつの解答として、新房昭之+シャフト制作の『ぱにぽにだっしゅ!』のような画面中に小ネタを仕込むテクニック(黒板ネタetc)が、有効ではないかと思われます。……とぱにぽにだっしゅ!DVDBOX発売決定!につなげてみました(笑)。おめでとうござます、氷川へきる先生!そういえば3社合同キャンペーン(『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん』+『ジャイ子ちゃんDX』+『まろまゆ』、スクウェア・エニックスエンターブレインアスキーメディアワークス)のオリジナルQUOカードが届きました!あと、あぼしまこ先生(アニメ『ぱにぽにだっしゅ!』のちびキャラデザインの人)の『たまごなま』は買いですね!そういえば、Amazonから島田フミカネ『ART WORKS』も届いたよ!と最後は良く分からない感じで(笑)。そういえば『ひだまりスケッチアルバム』は来月に延期になったようです。

おまけ:映画とテレビにおけるレイアウトの差

 と思ったけど、一応少しだけ真面目な話も。最近では映画もテレビも同じ16:9ですが、それでも画面レイアウトには違いが出るそうです。基本的には、大きなスクリーンで上映される映画ではテレビに比較して画面を引き気味(広角)にして、極端なアップを避けるそうです。うろ覚えの情報で申し訳ないのですが、劇場版『NARUTO−ナルト−疾風伝』監督の亀垣一だったか誰かは、アニメーターからあがってくるレイアウトを全て縮小コピーにかけたことがあるとか聞いたこともあります。そういう制作者の意図もあるので、劇場公開作品はできるだけ劇場で見たいな、と思う次第でございます。