ライトノベル(ス)とダブ(エ)ストン

 お約束していた『図書館戦争』の話題までは到達できませんでした*1。視聴して疑問がある方はid:sangencyaya:20080429:1209390885あたりを読んでください。それでもまだ疑問がある人は、原作を読んでください。もし貴方が本好きならば、絶対に損はしないと思いますので、是非読んでいただきたいと思います。ただ、安易に「絶対」とか書く人のことを信用してはいけないとも思いますよ。以下、本題。
 今日の夕方、街中でインターネットラジオ『びん・かんドクロちゃんねる』第5回(2005年2月22日配信)を聞いていたのですが、その中でゲストとして登場していたメディアワークス三木一馬(当時、『電撃hp』編集部)が、「ライトノベル」というものについてコメントしていて、現役ライトノベル編集の言葉として興味深かったので、引用させていただきます*2

千葉紗子「最近は”ライトノベル”がとても人気を集めているということなんですけれども、ライトノベルって何ですか? というか、私まったく”ライトノベル”分からないんです」
三木一馬「あー、そうですね。一応、小説なんですよ」
千「小説?」
三「ええ。ただ普通の小説と違うというかですね、違いがあるとすると、中にイラストが入っていたりとか。あと内容的には、結構いろんなエンターテイメント性が溢れた作品になっていて……」
千「ああ。1個のカテゴリに収まらない、とういう感じですかね?」
三「そうですね。基本的には、ただ、何でもありかな、という」
千「そうなんですね」
三「結構”ライトノベル”ってもの自体が、編集部は作っているときには意識はしていませので、外からカテゴライズされて、こう呼ばれるようになった感じなんです。僕たちは結構、面白いものを作っているっていうだけなんですけれども、向こうから勝手に”ライトノベル”って言われてる、っていう感じで、定義が作られたという印象が強いです」
千「へー、そうなんだ」

 昨日のエントリid:noir_k:20080528の最後に「自分はライトノベルにおけるイラストの存在価値も、実は良く分からない」と書いたのですが、2005年の現役編集者は真っ先にイラストの存在を挙げています。それがライトノベルアイデンティティなのか、などと問い詰めたくもなりますが、ここからありがちなライトノベル論争をしても面白い結果にはならなさそうなので、やめておきましょう。
 大塚英志は『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書)の冒頭で「スニーカー文庫のカバーイラストは何故、アニメ絵か」と暗黙のルールに対する疑問を呈しています。そしてその直後に「これらの小説がある部分ではあからさまにキャラクター商品として売られる運命にあるから」と述べています。そしてライトノベル*3は従来の文学のような「自然主義的リアリズムによる小説」ではなく、「アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している」小説であり、「「作者の反映としての私」は存在せず、「キャラクター」という生身でないものの中に「私」が宿っている」小説なのだ、と説いています。

キャラクター小説の作り方

キャラクター小説の作り方

 ということは、逆に考えると、表紙などでアニメ、まんが的なイラストを提示している小説は、自覚的に「キャラクター小説」であることを標榜しているとして良いのでしょうか。前回からの流れで記すと、2003年ごろから講談社ノベルスではイラストを表紙に用いた本が急増しました。そのトリガーに近い存在が、ずばりに西尾維新だったと思っています。
 余談ですが、三木一馬の「僕たちは結構、面白いものを作っているっていうだけなんですけれども」という言葉が表している通り、あまり電撃文庫を読んでいなかった自分にとっても*4、行き場のない才能が集まる場所だった印象があります。喩えるなら、鈴木光二や恩田陸、最近では森見登美彦らを輩出した日本ファンタジーノベル大賞のような印象です。メフィスト賞も似たような雰囲気がありますね。ちなみにメフィスト賞的には、浅暮三文のデビュー作『ダブ(エ)ストン街道』は第8回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作だったりします。せっかくなので、当時のメフィスト賞選考座談会*5からその時の様子を一部抜粋して、本日はお別れしましょう。

『ダブ(エ)ストン街道』
C「面白いですよ。誰もを惹きつけるような強い作品ではないと思うけど。僕はすごく気分よく読めました。キャッチフレーズは「キッチュでポップ。これが世界初の方向音痴メタ・ファンタジーだ」。主人公の好きな女性が夢遊病者なんですよ。だから夜、一緒に寝ていたのに、時々彼女が裸のままどこかに行っちゃって、そこから「助けて」って電話が来たりする。そんなことが何回かあるうち、ダブ(エ)ストンという場所から「助けて」という彼女の手紙が入った瓶が流れ着いて、彼は船に乗る。喪失感とか、見知らぬ土地で迷っている感じとか、あるいは旅している間に身体がだんだんカビにおおわれていく感じとか、「わかるわかる、いい感じ」という話」
A「冒頭にこんな会話があるんだ。主人公は土地勘も何もないんだけど、いつも人に道を聞かれちゃうんだよ。「どうしてみんな私に道を聞くのかな」と彼が訊くと、彼女が「だってあなたの顔はドアが開いているもん」と言う。さらに彼女は「私、ひとに道を聞くのはプロなの」と。その三行の会話で気に入ってしまった」

*1:今日の放送分がヤマカンこと山本寛回で注目されるのではないかと。初見の方も少なくないと思って。

*2:どうでも良いことですが、三木一馬の口癖(?)が「結構」であるのが、ありありと分かります。普段は気にならないのに、文字にするとこう明確になるのは、面白いものであります。

*3:一応記しておくと、大塚英志自身は「ライトノベル」という呼称は用いていない。代わりに「ジュニア小説」「スニーカー文庫のような小説」と呼んでいる。

*4:以前に記したように、自分は当時のライトノベルブームのようなものに完全に乗り遅れていたくらいです。

*5:メフィスト』巻末編集者座談会第9回「メフィスト賞続々!つるべ打ちしちゃえ!!」(1998年)