イラストーリーって何なんだ

 太田克史による新雑誌『ファウスト』第1巻が発売されたのは2003年のことでした。『ファウスト』は様々な特徴を持った文芸誌ですが、その中でも際立っているのが、太田克史のひとり編集体制である点です。その所為か、この雑誌にはある種の統一感が溢れています。それは太田克史まわりの作家、評論家による内輪的で心地よい雰囲気を持っていたのです。同人誌的、というと分かりやすいかもしれません。
 雑誌『ファウスト』のキャッチコピィは「闘うイラストーリー・ノベルスマガジン」。個人的には「闘う」というところに惹かれました。太田克史まわりの作家、評論家、イラストレータの競演というところに。
 以前記したように、例えば佐藤友哉の人気という物は作品自体以上に、作家自身にあります(推定)。舞城王太郎なども、そのタイプと思われます。西尾維新もそうかもしれません(西尾については、ちょっと自信ないです)。そこに非講談社系の滝本竜彦乙一なんかが絡んでくるわけですから、そのスジの者にはもうたまらんわけです。さらに評論方面では東浩紀斉藤環森川嘉一郎という「お約束」どころを押さえた、まさに太田克史による太田克史のための雑誌でした。それは同時に、ある読者層にスマッシュヒットするのは当然、というわけです。まあ、大塚英志がいなかったのは幸か不幸か分かりませんが。
 舞城王太郎佐藤友哉西尾維新らの流れを太田克史は「ゼロ年代の波」と名付けました。彼らの作風は、西尾維新作品のキャッチコピィを借りるなら「新青春エンタ」といったところです。個人的には「若さ」そしてそれゆえの「痛さ」をエンタテイメントに昇華しているのに感服しました。その点がそれまでの諸作品との違いだと感じました。表面的にはまさにエンタテイメント小説としてのストーリ展開が繰り広げられていますが、そこで語られているのは作家個人や登場人物の呻きのようなものです。当時、サブカル分野では「セカイ系」なる言葉が誕生し始めた時期でもあり、大局的に見れば『新世紀エヴァンゲリオン』を祖に持つ仲間と見ることができるかもしれません。
 『ファウスト』の三大方針のひとつに「イラストーリー」というものがあります。これは勿論、イラスト+ストーリーの造語なのですが、自分ではこれが良く分かりませんでした。通常の文芸誌にはない写真、イラスト、まんが、デザインを重視するのは良いとして、肝心要の小説部分は写実的というよりはまんがちっくな挿画が付くだけ。そこが解せなかったのです。
 これはライトノベルを意識しているだけなのか。それとも何か深い意図でもあるのだろうか。
 事実、『ファウスト』は視覚的な部分に重きを置いていて、例えば書籍ディジタル化における「小説=コンテンツ」の枠組みをぶちやぶるような試行のひとつが、太田克史言うところの「本物」のDTP導入によるフォント変更やテンプレートではい組版だったりするのだろう。
 だけど、多くの文芸誌において、小説と同時に挿画が入るのは半ば常識であり、それがまんがちっくなイラストになっただけの意味が理解できなかったのです。さらに自分はライトノベルにおけるイラストの存在価値も、実は良く分からないのです。

 追伸:自分にとっての『ファウスト』第1号の最大の売りは、飯野賢治の処女小説掲載にありました。なんせ中学生時代の自分にとってのカリスマ的存在でしたから。で、その小説「ロスタイム」が意外と普通で拍子抜けしたのを覚えています。ただ『ファウスト』自体には本当に期待していて(それだけ一編集にすぎない太田克史を信頼していたというのは、何だか変な話なのですが)、新宿紀伊国屋サザンシアターで行われた刊行記念イベントにも行きました。調子に乗った飯野賢治が「舞城王太郎の正体は太田克史だ!」と叫んでいたのも、今となっては良い思いでです。ちなみにこんな発言があったのは、舞城王太郎が『阿修羅ガール』で第16回三島由紀夫賞を受賞したものの、覆面作家の意地を通して、歴代受賞者初の授賞式欠席をした頃だったからです。