アニメ『ストライクウィッチーズ』の魅力を語る 主題の魅力編
さて『ストライクウィッチーズ』が終了して早1週間、いかがお過ごしだったでしょうか。ネット上では終了直後ということもあり、総括として様々な魅力が語られています。特にid:karimikarimiさんが先導&扇動されている印象を受けますが、こりゃ乗っかるしかないだろう、ということで遅ればせながら自分も意見を少々書かせていただきたいと思います。
多くの人々が多種多様な方面から語られているように、本作の魅力は一言で言い表すことはできません。その中で、自分なりの観点から見たとき、主題の強度が大きな魅力になっていると感じました。
『ストライクウィッチーズ』はただの薄っぺらい美少女&ミリタリアニメではない?
本作を一言で表すとすれば、おそらく「メカ&美少女」あるいは「ミリタリ&萌え」ではないでしょうか。これはおそらく制作者もそう嘯く(失礼)でしょうが、しかし本当にそれだけの作品だったら、ここまで自分にとって良い作品だと感じてはいないと思います。例えば、同じ島田フミカネがデザインを担当しているアニメ『スカイガールズ』と比較した場合*1、なぜ『ストライクウィッチーズ』の方に魅力を感じるのか、考えてみました。
その『スカイガールズ』との相対的な差異であれ、単体で見たときの絶対的価値であれ、本作『ストライクウィッチーズ』はアニメーションとしての映像的な魅力が大きいと思います。それは監督である高村和宏の素晴らしさであったり、各作画スタッフの腕であったり、GONOZOの誇る優秀な3Dアニメーションによるものでしょう。この点に関しては、多くの人が語るところと思われます。*2
それ以外の要素として、優秀な劇伴(BGM)の存在が挙げられます。長岡成貢作曲によるシンフォニックで壮大な音楽は、音楽単体としての魅力も高く、作中における重要なシーンは「音楽で語る」といっても過言ではないくらい、重要な役割を果たしていると感じました。本エントリでは深入りを避けますが、これについては今後書くかも。
さらに物語の背景にある世界観は、期せずして長くなってしまった準備期間からか、ものすごく練りこまれており、その氷山の一角しか見ることのできない我々視聴者にとっては無限にも等しいものです。これは物語に外周からの構造的な強度を与えています。メディアミックス展開(小説、まんが……)を参照すれば、作品世界は貴方の頭の中で大きく拡大していくことでしょう。
そのような多くの要素を踏まえつつ、本作の特徴として強いメッセージ性があると考えました。しかし、メッセージ性が強いのに、押し付けがましくない。ここまで確固たる主題を掲げているアニメも珍しいと思いました。この主題は変奏され、反復しつつも、常に作品の中心に存在し続けています。この中心軸としての主題が物語に、そして作品に強度を与えているのではないか、と考えました。
守りたいから私は飛ぶ!!
本作の主題とは言いますが、具体的に何を指しているのか。ここで小説版『スオムスいらん子中隊がんばる』の巻末に収録されている原作者解説から、島田フミカネの言葉を引用します。
彼女たちには守りたい人や世界があり、だからこそ、自ら望んで最前線に立つ強さを持てるのです。
(中略)
彼女たちの住む世界は決して楽観できるような状態にはありませんが、彼女たち一人一人の前向きな頑張りが少しずつでも世界を良くしていく。
自分はここで語られているようなことが、本作の主題に相当すると考えています。それは各話サブタイトル(例えば、第2話「私にできること」、第3話「一人じゃないから」、第9話「守りたいもの」)や、監督自ら作詞に参加しているオープニングテーマ『STRIKE WITCHES〜わたしにできること〜』の歌詞などからも伝わってくると思います。
わたしに できること/ひとつづつ 叶えたい/夢に向かって 一歩ずつ歩こう
わたしに できること/あなたにも伝えたい/あきらめないで 翼広げて
さあ とぼうよ あしたのために
(中略)
あなたにできる/わたしにできる/ステキなこと つなげたら
あの空の 明けかたも 少しかわるでしょう/強くなる 一人ではないから
『ストライクウィッチーズ』は主人公・宮藤芳佳の成長物語であり、宮藤芳佳(および視聴者)が第501統合戦闘航空団、通称「ストライクウィッチーズ」の面々と出会い、仲間となり、ともに過ごし、ともに戦い、そして別れるという物語です。主人公である宮藤芳佳の思考には、まさにこの主題が反映されています。
「守りたいから私は飛ぶ!!」
この主題に呼応するように、作中ではいくつかのルールめいたものが存在します。例えば、単独での戦いでは勝利できません。複数人のチームプレイでないと、ネウロイを倒すことはできないのです。第2話の宮藤&坂本(+海軍の男たち)、第3話での宮藤&リーネ等々……。作中で単独での撃墜に成功しているのは、半ば事故ともいえる第5話のシャーリーくらいのものです。総力戦とも言える最終話では、ペアによるコンビ技が炸裂していました。この「共闘」という点については小説版『スオムスいらん子中隊』シリーズにおいても顕著です。
複数人での戦いにおいて、各人は各人の特性をいかす必要があります。「わたしにできること」というフレーズは、作中のいたるところで見受けられます。つまり、変な言い方かもしれませんが「適材適所」ということであり、自分の果たすべき役割を探していくのがひとつのテーマになっています。キャラクタ紹介的なエピソードの中においても、その問題は通奏低音のように存在し続けます。何を守りたいのか。「わたしにできること」は何なのか。
初期の宮藤は「守りたい」が、戦争はしたくなかった。ウィッチーズ隊に所属することになった時にも、渡された拳銃をつき返しました。しかしネウロイによって奪われたものがあります。人、そして祖国。それぞれ守りたいものは様々です。個々人は個々人の信じる「守りたいもの」を守るために、戦うという道を選んだのです。坂本によってブリタニアへ連れられてきた宮藤は、戦いを通じて自分の役割を獲得していきます。それまで抽象的だった守るべき「みんな」の存在は、赤城を救ったことで可視化され、守るために戦うという「わたしにしかできないこと」を見つけていきます。
宮藤にとって初めての戦闘である第2話と、最終第12話は良く似ています。違うのは、宮藤が成長していること、そして宮藤は「一人ではな」くストライクウィッチーズの仲間がいること。孤軍奮闘する宮藤の背中には、再結集しつつある仲間たちの姿があり、「守りたいもの」があります。
主題による強度に支えられた『ストライクウィッチーズ』の魅力
このような「守りたいもの」をめぐる主題が、『ストライクウィッチーズ』における強度を生み出していると考えています。もちろん、この主題がしっかりしていることが魅力のすべてではなく、そこには魅力的なキャラクタであったりというものが不可欠です。特に主題をまっすぐ前面に押し出している宮藤芳佳というキャラクタが魅力的(嫌味にならない)なのは必須です。さらに付け加えるならば、各話内における物語構成もさることながら、全12話を通したシリーズ構成の妙が光っていた作品だと思います。重い話あり、軽い話あり、現実的な話あり、幻想的な話あり。ベタな展開、とも言われそうな胸躍る熱い王道展開は、中心からの主題と外周からの世界観によって生み出されている強度によって支えられていると思います。だからこそ「萌え要素」や「ズボン」が散りばめられていながらも、あざとさやいやらしさを感じることのない、純粋に感動し、心に染み渡ってくるような快作になりえたのだと考えています。
最後に。自分としてはテレビ2期もいいけれど、是非ウィッチーズの活躍を劇場で見たい!ラスト4話のような熱い展開が映画館の巨大なスクリーンで見ることができたら、どんなに幸せなことでしょう!
うぉっ!今回はパンツのパの字も書いてないぜ!って、今書いたじゃん、ていうツッコミはやめてね。