萌えろ!メフィスト学園

 何で太田克史メフィスト賞受賞者についての思い出を語っているのか、自分でも良く分からなくなってきました。本当は最近のアニメの原作になっているアニメが2003年ごろのものであるという仮説を検証し(調べていないので、あくまでもただの仮説です)、来るべきヤマカン(山本寛)回の『図書館戦争』に向けて、誤解されがちな同作品を擁護していこう、と考えていたのでした。ですが、乗りかかった船ですので、もう少しメフィスト賞がらみの話を続けさせていただきます。お付き合いくださいませ。
 id:noir_k:20080524で記したように、佐藤友哉の魅力のひとつは、作者自身に対する親近感だったと思います。端的に言えば「作者萌え」(あまり好きな表現ではないのですが)というやつだと思います。なんせ、ネット上での愛称が「ユヤタン」だったくらいです。2003年の『もえたん』、同年の『びんちょうタン』よりも早い2001年ごろの話です。ただこの「作者萌え」の傾向は別に佐藤友哉に限った話ではありませんでした。メフィスト賞受賞作家の作品を読み漁った身として言わせて貰えば、彼らの共通点は強烈なキャラクタ性でした。それは実質第0回受賞の京極夏彦から始まり、第1回の森博嗣、第2回の清涼院流水、第3回の蘇部健一……と書き連ねていけば、分かる人には分かる強烈な個性の集合でした。
 その「作者萌え」のひとつの集大成として、某巨大掲示板を舞台とした「私立メフィスト学園」(まとめサイト)の存在があげられます。これはメフィスト賞受賞作家が同じ空間で学園生活を送るというネタスレッドで、作家を登場人物としたサイドストーリーが日々綴られていました。これは第31回受賞の辻村深月(辻は綾辻行人の辻と同じで、点が2個のしんにょう)あたりで失速しています。メフィスト賞はその選考過程を誌上で公開していたため、作者自身の付随情報が比較的沢山あり、親近感を持ちやすかったのもあるでしょう。
 太田克史は編集「J」(誌上公開されていたメフィスト賞の選考座談会において、編集部員はアルファベットの匿名になっていたのです)として君臨し、佐藤友哉に「この重版童貞が!」と言い放つなど話題に事欠きませんでした。そんな太田克史をはじめとする編集部員や、新本格ジャンルの関連人物であるところの笠井潔なども巻き込んで、このような小さなブームがあったのでした。
 メフィスト賞自体、2004年ごろから受賞ペースが遅くなり(メフィスト賞は明確な選考日程等がないため、連続受賞もあれば、時間が空いてしまうこともある)、また以前に比べればインパクトの弱い作品・作家が増えてきたことで、その話題性を失ってきたように思われます。自身の感想としては、舞城王太郎佐藤友哉西尾維新北山猛邦あたりがピークだったと感じています(これに関しては異論がある方も大勢いるでしょうが)。自分の主観では、北山猛邦の次はもう、辻村深月なくらいです。
 メフィスト賞が凋落傾向にある中、代わりに浮上してきたのが編集「J」こと太田克史が社内公募から立ち上げた新雑誌『ファウスト』でした。しかし自分は『ファウスト』の流れを見ながら、ある種の違和感を禁じえませんでした。
 今回、このエントリを書いていて、当時の自分が本当にメフィスト賞が好きで、メフィスト賞とともにあったんだな、と感じました。それは自分のIMEメフィスト賞作家の名前をほとんど一発変換できる驚きからでした。あ、自分のIMEは作家名と声優名には結構強いんです、どうでも良い情報ですが。あとメフィスト学園まとめサイトは単純に読み物としても面白いので、是非当時を懐かしみながら読んでいただけたら幸いです。右上の「想い出のアルバム」から読めます。
 追記:自然消滅したと思い込んでいた「メフィスト学園」ですが、まだ生きていました。現行スレッドはこちらです。このスレッドから生まれた「シュノソブマイジョ」(殊能将之×蘇部健一舞城王太郎)や801キャラの高里椎奈、委員長キャラの森博嗣など、今でも自分の作家観に影響を与えているものも少なくありません。