国民性や血液型性格分類を完全に否定できますか

 前回のエントリ『ストライクウィッチーズ』と『ヘタリア』から学ぶ国擬人化を受けての内容になります。未読の方は是非読んでいただきたいですが、少々長いので別に読まないでも結構です。どっちだよ!
 改めまして。前回のエントリでは、『ヘタリア』という国擬人化まんがを補助線に『ストライクウィッチーズ』という多国籍キャラクタアニメの登場人物を検討することで、国擬人化の極意すなわち国民性のあぶり出しを行おうという意図がありました。『ヘタリア』は国をそのままキャラクタにしているので、基本的に国自体および国民性を由来とするキャラクタ造詣が行われています。一方の『ストライクウィチーズ』においては国籍の異なる登場人物が数多く登場するだけなので、そのキャラクタ造詣は国民性を反映した典型的○○人像だけに由来していません。その比較検討において唯一大きな違いが出たのが、リネット・ビショップというイギリス出身(作中ではブリタニア連邦)キャラクタでした。
 リネット・ビショップはおっとりマイペースで心優しいドジッ子という性格付けがなされています。一方、イギリスのイメージは意地っ張りで負けず嫌いで暴れん坊だが、実は意外と良い奴というツンデレの性格なのです。あまりにも性格が違いすぎるので、まあ国民性とは無関係なひとがいても良いだろう(どこの国にだって善人もいれば悪人もいるし、文化系もいれば体育会系もいるさ)とスルーしてやっつけてしまいました。しかしコメント欄で「リネットの性格はどちらかというとカナダっぽいなあと思いました」と言われてハッとしました。
 実はリネット・ビショップはイギリス出身なのですが、モデルキャラクタ(『ストライクウィッチーズ』の登場人物にはそれぞれモデルとなった実在の人物がいます)から推測するにカナダの血が入っている可能性が高いのです。それが真実すなわちイギリス育ちのカナダ人だった場合、その性格にはイギリス的なものとカナダ的なもののどちらが色濃く反映されるのでしょうか。それは性格が先天的なものなのか、後天的なものなのかという次元の話になります。
 性格は先天的なものだ、というといささか暴論に聞こえるかもしれません。学術的には性格は気質という先天的傾向のあらわれであると考えられているはずです(違うかも……。違ったらすみません)。しかし日常生活を送る上で表面に現れてくるような「性格」は先天的なものだけではないと皆さん感じるのではないでしょうか。自分もそう考えています。犯罪者が遺伝子レヴェルで決定されるわけではないのと同じです。
 そもそも国民性を定義するとき、その国民の血が流れていることに由来する(先天的)と考えているのか、それともその国で生まれ育ったことに由来する(後天的)と考えているののどちらでしょうか。答えは明白で後者であり、国民性はその国の風土や歴史に起因すると考えられています。しかし現代のように物理的移動が容易でない時代であれば、その国で生まれ育つこと(先天的)とその国の血が流れていること(後天的)がほぼイコールになり、その区別はないでしょう。
 少し話は変わりますが、世の中には血液型性格分類という厄介なものがございます。「厄介なもの」と書いたのは、どうにもこの血液型性格分類を過信する余り日常生活が脅かされているひとや、また血液型性格分類を憎む余り否定信者になり日常生活が脅かされているひとが少なくないからです。個人的意見としては前者は見ていてあまり気持ちが良いものではありませんが一方では微笑ましくも思っており、逆に本当に厄介なのは後者であると思っています。なんでそんなに血液型性格分類を目の敵のようにするのか、自分には理解できません。彼らは一様に「非科学的だから」「統計的証拠がないから」「血液型差別が存在するから」「日本にしか存在しないから」「そもそも4つに分類って」なんてことを言います。確かに間違ったことは言っていないと思いますし、B型の自分は面と向かって「B型の人は……、ねぇ」みたいなことを言われて少々腹が立った経験はあります。
 血液型分類は先天的なものに由来する性格分類です。前述した国民性とはそこが異なります。しかし、少し考えてみてください。例えば、A型のひとは几帳面だとします。A型の子供が産まれるには、少なくとも片方の親がA型である可能性が高いです(またはAB型)。よって、A型の親の行動を子が倣えば、A型の几帳面という性質は代々受け継がれることになります。性格が育まれる外的環境、その中でも最も小さな社会である家庭において血液型の偏りが存在する可能性が高い以上、血液型はただの先天的条件ではなくなり家庭環境という後天的条件と見分けが付かなくなります。
 今の説明では、血液型を家庭環境へ拡大解釈しました。さらに人的流動の少ない社会においては上述の家庭での議論が国・民族にまで拡大できます。さらによく知られていることですが、日本人にはA型が多いです。しかし、アメリカはO型が多いですし、中国ならB型が多いです(世界の血液型分布)。こうなってくると国民性と血液型の相関まで考慮できるようになるかもしれません。
 個人的には血液型性格分類を信じていません。しかし上述のように、何らかの傾向がある可能性がないとは言い切れないとも思っています。国民性というものも、うすらぼんやりとして良く分かりません。ただ国民性、たとえばアメリカ人は陽気で奔放であるとか、ドイツ人はルールに厳しいとか、一般の人はそれなりに信じていると思います。その原因は実際のアメリカ人、ドイツ人をよく知らないからだと思います。血液型はA型っぽいのにB型の人ととかを沢山見ていると思います。だから簡単に否定できます。しかし実のところ、国民性も血液型性格分類も大きな差はありません。そう考えて見えてくるのは、性格分類というものがいかにナンセンスであるかということだけです。十人十色、ってやつです。だから目くじら立てている血液型「否定」信者に言いたいのは、もうちょっと精神的余裕を持って生きようぜ!というただそれだけなのです。
 一応最後になりましたが、発端となったリネット・ビショップについて。リネットの性格が後天的条件であるイギリス(=社会環境)に由来するのか、それとも先天的条件であるイギリス(=家庭環境)に由来するのか、それは分かりません。それでもリネットはリネットであり、それで十分だと思います。と前回のエントリを完全否定(笑)したところで、本エントリはこれにてお開き。