「バールのようなもの」と「パンツのようなもの」から考える『ストライクウィッチーズ』パンツ・ズボン問題

 話題騒然(?)のアニメ『ストライクウィッチーズ』。本来のキャッチコピーであるはずの「守りたいから私は飛ぶ!!」もなんのその、キャンペーンコピーの「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」の方が世を席巻しているくらい、このアニメにとってパンツというのは大きな要素になっています。
 このパンツについては大きな問題が潜んでいました。明らかにパンツなのに、キャンペーンコピーでは「パンツじゃない」。じゃあ一体あれは何なんだよ!という視聴者の突っ込みに対して物語からの返答はなく、今まで便宜上「パンツ」として文字表現するしか方法がありませんでした。
 そのような状況下で放送された『ストライクウィッチーズ』第7話「スースーするの」で判明した驚愕の真実。それは今までパンツと思われていたが「パンツじゃない」とされていた謎の下腹部衣装が、キャラクタの口より「ズボン」だと断定されたことですしかし、これですべての疑問が氷解したわけでは当然ありません。例えば、ここで指している「ズボン」の概念と現代日本に生息する我々にとっての「ズボン」の概念が同一である保証はないという点があります。そもそも『ストライクウィッチーズ』の世界では下着という概念があるのかも不明です。さらに「ズボン」という発音単語は日本独自のもので、しかも困ったことに日本語の「ズボン」に対応する英語は「パンツ」であり、また件の「ズボン」発言をしたキャラクタがドイツ人であるため、本当はパンツなのに日本人がいわゆるズボン(すなわち英語でのパンツ)を指して「ズボン」と呼ぶのを聞いて「パンツ=ズボン」だと思い込み、誤った表現をした可能性もうんたらかんたら。だけどこのような議論は「アレは何か?」という意味で本質的ですが、あまり建設的ではありません。そこでもう少し現実的な課題として、今後我々は『ストライクウィッチーズ』を語るときに「アレ」をどのように表現すれば良いのか、という問題があります。
 この問題はすでに顕在化し始めています。今『ストライクウィッチーズ』を語る際に「パンツ」という表現を用いたら、すぐさま「あれはパンツではなくてズボンです」という困った感じのコメントを頂戴することが出来るでしょう。なぜなら「ズボン」だと判明した以上、文字表現として「パンツ」を使うことは明らかな誤りだからです。だからって、あの布切れを「ズボン」と呼ぶことは倫理的に(?)できない!というひとも少なくないはずです。そこででてくる表現が「パンツのようなもの」です。
 ここで思い出すのがニュース等でお馴染みの「バールのようなもの」という表現。それはもう、Wikipediaに「バールのようなもの」という項目があるくらいですし、清水義範の短編小説に同名のものもあるくらいですし、敬愛なるkashmir先生の名著『○本の住人』(1)でも11ページ「ようなもの」で「いやでもバールようなものはつきものだし」(強調は引用者)とあるくらいです。「パンツのようなもの」という表現を考えるにあたって、前例事項ともいえる「バールのようなもの」について考えることから探っていこうと思います。
 そもそもなぜ「バールのようなもの」などという曖昧な表現がニュース等で用いられているのでしょうか。それはもちろん、正体不明だからにほかありません。つまり目の前にある棒状物質を見て「バールのようなもの」と言っているのではなく、痕跡などから棒状物質だと推定されるが決して特定はできない場合に、このような曖昧な表現を用いているのです。つまり棒状物質を代表して「バールのようなもの」という表現をしているわけです。そういう意味では『ストライクウィッチーズ』における「パンツのようなもの」とは根本的に異なる使用法だといえます。
 しかし「バールのようなもの」という表現は、『ストライクウィッチーズ』における「パンツのようなもの」はパンツのように見えるが決してパンツではない、という摩訶不思議な状況で使用する可能性もあります。例えばホームセンターにてバールが売られているが、商品の値札には「クローバー」と書いてあったとします。ちなみにこれは本当のことで、いわゆる「バール」は英語で「crowbar」と言うのです。貴方は友人にその状況を伝えるとしたら、どのような言葉を用いるでしょうか。素直に「あっちの棚でクローバーが安売りされてるよ!」なんて言ったところで、友人は口あんぐりです。「……ふざけんじゃねえ。クローバーなんて公園に行きゃ掃いて捨てるほどだぜっ!」とか「この野郎!CLAMPの回し者かぁ!」なんて。しかし、だからって「あっちの棚でバールが安売りされてるよ!」なんて言えますか?目の前には「バール」ではなく「クローバー」って明記されているのに。そうなったら折衷案として「あっちの棚でバールのようなものが安売りされてるよ!」となるのではないでしょうか。
 上の例をもとに「パンツのようなもの」について再び考えてみましょう。目の前に「パンツ」がある。しかし、それは「ズボン」だと明記されている。しかしその物質は自分の知っている「ズボン」では決してない。もしかしたら、どこかの国では「パンツ」のことを「ズボン」(≠いわゆるズボン)と呼ぶのかもしれない。しかし、他人に説明するには「ズボン」では誤解が生じる。それでも「パンツ」である確証はない。そこで貴方は叫ぶわけだ。これは「パンツのようなもの」だ、と。
 以上の議論を踏まえて、『ストライクウィッチーズ』におけるパンツ・ズボン問題を捉えなおしてみると、「アレ」は少なくとも作中では「ズボン」と呼ばれている物質であるのは間違いありません。しかし「バールのようなもの」よろしく、その正体は現代日本に生きる我々にとって未だ不明のままです。だからこそ我々は誤解を避けるためにも、あの物質のことを「パンツのようなもの」と呼び続けるべきなのです。そしてゆくゆくは「バールのようなもの」のように「パンツ」には「ようなもの」が必須となるような言語環境の構築を目指し、今年2008年の流行語大賞を目指しましょう!
 以下は戯言なのですが、個人的には「パンツのようなもの」という表現はなかなか冴えていると考えています。以前のエントリid:noir_k:20080815:1218760003でも書いたのですが、ブラウン管の中のパンツは絶対にパンツだとは言い切れず、パンツあるいは他の様々な物質である可能性が均等に存在する「不確定状態」なのです。そのことには皆気づいていても面倒くさいことなので気づいていない振りをし続け、やれパンチラが見えたやらなんだと騒いでいたのです。これは児童ポルノ関連法案におけるフィクション・ノンフィクション問題とも密接な関係があります。『ストライクウィッチーズ』で「パンツじゃない」と明言されたことにより、ブラウン管の中のパンツの存在に焦点が当たるようになりました。ざっくり言うならば、所詮絵は絵に過ぎない、ということです。ただの製作側の言い訳に過ぎないかもしれませんが、このような問題が提起されただけでも『ストライクウィッチーズ』におけるパンツには価値があったのではないかと思います。
 へへへ。今回のエントリはどこまでが本気なのか分かりにくいでしょう(笑)。